散髪脱刀令 - Wikipedia: 散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)とは、明治4年8月9日(1871年9月23日)に明治政府によって出された太政官布告。一般には、断髪令(だんぱつれい)という名称で呼ばれる。かなりルーズな規定で、守って守らなくっても、特に罰せられなかったようだ。同年米国に向けて出発した岩倉使節団の岩倉具視も出発時は丁髷をしていた〔その後シカゴで断髪)。Before / After の写真をお楽しみ請う:
Before :
After :
それでも陋習に固執する国民の反発は大きく、こんな事件も:
明治6年3月敦賀県(現在の福井県嶺南)で、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が発生し、6人が騒乱罪で死刑となっている(明治6年3月20日 東京日日新聞)。
いつの時代も、人々の風俗習慣を〔たとえそれが悪習陋習であったとしても〕変えさせることは、とてもむつかしいのである。