2012年8月9日木曜日

8/9 Today 明治政府が「断髪令」を布告 (1871)

Wikipedia では:
散髪脱刀令 - Wikipedia: 散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)とは、明治4年8月9日(1871年9月23日)に明治政府によって出された太政官布告。一般には、断髪令(だんぱつれい)という名称で呼ばれる。
かなりルーズな規定で、守って守らなくっても、特に罰せられなかったようだ。同年米国に向けて出発した岩倉使節団の岩倉具視も出発時は丁髷をしていた〔その後シカゴで断髪)。Before / After の写真をお楽しみ請う:

Before :


After :

それでも陋習に固執する国民の反発は大きく、こんな事件も:

明治6年3月敦賀県(現在の福井県嶺南)で、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が発生し、6人が騒乱罪死刑となっている明治6年3月20日 東京日日新聞)

いつの時代も、人々の風俗習慣を〔たとえそれが悪習陋習であったとしても〕変えさせることは、とてもむつかしいのである。

2012年8月4日土曜日

サルスベリが咲いた!

10年以上前、サミットストアで小さな苗木で買ってきて植えたものだが、日当たりが悪くずっと花を咲かせなかった。去年、思い切って周りの樹を強剪定したのが功を奏したのか、ようやく花を咲かせてサルスベリらしくなった。ジイサンはうれしい。



きょう8月4日はビヤホールの日、銀座ライオンの生ビールが半額に!

こういうことらしいです:
8月4日はビヤホールの日:
 1899(明治32年)8月4日 日本初のビヤホールが誕生:
モダンな造りで大盛日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」は、銀座の新橋際(京橋区南金六町五番地 現銀座八丁目)にオープンしました。規模は35坪、入口から向かって左側にカウンターを設け、床はリノリウム張り、イスやテーブルはビールの樽材でつくられ、また酒器はガラス製のジョッキで、当時としては極めてモダンな店でした。設計は工学博士である建築家の妻木頼黄氏に依頼し、奇抜な設計にしてもらった、と記録が残っています。
このビヤホールは、2階建ての煉瓦造りの建物の2階を間借りして開店したにも関わらず、当時有名だった小林習古画伯の壁画を飾るなどとても豪華な造りをした店舗だったため非常に繁盛しました。1日の来客数は平均800人に達しました。遠方から馬車でやってくる人もいたそうです。なお、当時はビール500mlが10銭で販売されていました。当時は、もりそば1枚、コーヒー1杯が1~2銭、食パンが5~6銭程度でした。

で、銀座ライオンではそれを記念して「生ビール半額」などの大キャンペーンを:


呑める人は行かねばなりませぬ。

蛇足:日本のビールが高い理由がわかりました。発売当初から「舶来でモダンな高級飲料」というイメージで(盛りそばの5倍から10倍の値段で)売り出したので、それが続いているんですね。一方海外では水の替わりにビールという意味合いが強く安い値段でないと売れなかった、と言うことでしょうか。